自民党批判、安倍政権批判とおぼしきリベラル的な素材を使った間接的政権批判は国語の大学入試問題でも英語の問題でも散見される。しかし、実名の安倍首相批判本をそのまま素材にして国語入試問題を作成してしまった大学がある。近畿大学。あのマグロ大学である。日本で1,2位の受験者数を誇るマグロ大学である。
入試問題の出典は樋口陽一・小林節共著『「憲法改正」の真実』である。この本が安保法制を通した安倍政権批判本であることは読まなくても著者名を見れば分かる代物だ。しかも、この罵詈雑言に満ちた文を受験生が一生懸命読まなければいけないように受験問題が作成されている。それも設問に絡め、また設問の中にまで批判的言辞を満載しての入試問題である。この悪意に満ちた入試問題に受験生の「国語力」を見るという以外の意図を読み取るな、という方が無理である。多少政治的なことに興味を持っている人間なら、たとえ高校生と言えども、ここに政治的左翼的プロパガンダを読み取れない方がよほど間抜けである。また、政治に無知な若者を意図的に「洗脳」や「刷り込み」をしてやろうという意図をここから読み取れない高校や予備校の国語教師がいたとしたら、それこそ仰天ものである。では、どのように入試問題が作成されているか見ておこう。
小林 | 樋口先生のこの問いに当てはめて言えば、第二次世界大戦開戦前の支配層の孫たちが、中国・韓国との関係を改善する努力を怠りつつ、安全保障の環境が悪化したと主張し、「米軍の二軍」で構わないから軍隊をもちたいという理由で、憲法九条を書き換えようとしています。それができないから、とうとう違憲の安保法制を通してしまった。 そして、なんと今度は、憲法のほうを安保法制に合わせようとしている。これも(1)主客転倒のとんでもない理屈です。 |
これだけ左翼的言辞を並べたところを必死で読まなければこの(1)の設問には答えられないのである。しかもこの設問は受験生が悩み必死に本文と設問を読まなければならないところに、恐らく意識的と思われる安倍政権に対する強烈な批判を仕込んでいる。受験生が悩まない部分は省略して紛らわしい選択肢のみ紹介しておく。
問二 傍線部部(1)、「とんでもない理屈」と言う理由として、最も適切なものを次の中から選び、その番号をマークせよ。
2 | 中国・韓国との関係改善をすることが目的であったはずなのに、「米軍の二軍」として軍隊を持つために安保法制を作り、憲法をそれに合わせようとしているから |
4 | 法律というものは憲法の定める範囲内で作られるはずのものなのに、まず安保法制を成立させ、その後、憲法を安保法制に合わせて改憲しようとしているから |
国語の試験問題というのは設問箇所の前を見るだけではない。通常受験生は設問箇所の前後を必死で読む。設問箇所に続く小林氏の発言は、安倍政権は北朝鮮の金正恩となんら変わらず、日本の国際的信用を失墜させ、世界から「敵国扱い」され続けること必定だと言わんばかりの発言である。
小林 | 改正草案からうかがえるのは、お隣の金ファミリーが支配する北朝鮮の体制を目指しているかのような姿勢です。 そのような路線で国を運営すれば、日本の国際的信用は低下します。それが日本の安全保障を考えるうえで損失なのは明らかです。たとえば、いまだに日本は国際連合憲章のうえで連合国側の旧敵国扱いですが、戦前と変わらない秩序に日本が戻ろうとしているのが分かれば、他国の警戒心は高まり、いつまでも旧敵国条項の撤廃はできません。 |
この入試問題制作者は、このひどい安倍政権批判を受験生が必至で読まなければならないように設問を仕込む。次のように、小林氏の発言に続く樋口氏の発言箇所に設問をもうけるのである。
樋口 | 小林先生は名だたる改憲論者だけれども、(2)この状況下での改憲には反対ですね。 |
問三 傍線部(2)の説明として、最も適切なものを次の中から選び、その番号をマークせよ。
2 戦後七〇年経ったのに、いまだに連合国側から敵国扱いされている状況
3 価値観を共有しているはずの欧米から、日本社会が誤解を受けている状況
紛らわしい選択肢のところほど露骨な安倍批判である。このような批判は内容理解を問う設問ばかりではない。穴埋め問題においても酷い安倍批判の選択肢を並べ、本文と選択肢と何度も何度も受験生が読み返さなければいけないように設問を作っている。私は受験生に英語を教えている身ではあるが国語の入試問題もそれなりには見る機会がある。しかし、これほど露骨に現政権を担っている日本の首相を名指して批判した本をそのまま入試問題として使う大学を知らない。しかも設問にまで安倍首相の名前を出して批判する。ここまで露骨な大学入試問題は見たことがない。これは完全な「政治的プロパガンダ」である。このような入試問題が何万人も受験するマンモス私立大学で許されるのだろうか。
この国語入試の穴埋め語句選択問題では次のような箇所が空欄にされて選択肢が与えられている。
樋口 現在は、まっとうな議論ができる土壌が整っていないという点はまったく同じ考えです。
繰り返しますが、私は憲法改正に反対です。九条についても手をつけるべきではないと考えています。
客観的な事実として、憲法制定時に一般的だった九条解釈を、「非現実的」と非難されながらも憲法学の多数意見が主張し続け、それへの世論の一定の支えがあったからこそ 10 が抑制され、歴代の内閣法制局見解という現実が維持されてきたのではないか。
近大の入試問題作成者はこれほど一方的な護憲派の主張を受験生が真剣に読まざるを得ない状況におくために空欄を設定し、次のような設問を設けている。
問六 空欄 10 に入る言葉として、最も適切なものを次の中から選び、その番号をマークせよ。
1 歯止めなしの解釈の独走
2 飽くことのない改憲への野望
3 戦争も辞さない強烈な愛国心
4 近現代史の具体的な検証
近大の入試課の説明では受験生が本文を読んで正解に至るプロセスに問題がなければ良いという解釈で、素材の「解釈」は人によると主張する。これを「政治的プロパガンダ」と見るか見ないかは読み手によるのであって、入試制作者や大学側には何の責任も義務もないという口ぶりであった。
しかし、選択肢でこれだけ否定的な言葉を繰り返し、繰り返し読まされる受験生が安倍批判を刷り込まれない可能性を否定する方が難しいであろう。もちろん言論の自由はある。受験生の中には安倍政権に批判的な人間も多いであろう。そのような受験生が本屋で安倍批判本を買って来て読み、安倍批判の言葉を語るのも、またSEALDsのようにデモに参加するのも自由である。しかし、全く選択の自由のない受験生にこのような「政治プロパガンダ」としか言い様のない入試問題を作成し、日本で受験生の延べ人数1位を自慢げに宣伝する日本有数の私立大学がこのような問題を作ることまで許されるとは私にはとうてい思われない。
空欄による「政治的プロパガンダ」設問はここの1カ所に留まらない。さらに、次のような樋口氏の安倍政権批判に続く小林氏の発言の部分に設問を設定する。
樋口 道義的にも、過去を見つめるべきなのは当然です。
が、それだけでなく、先の戦争のなかで近隣諸国にどのような加害を行ったのかを明確にしないまま、自衛のためとはいえ戦力をもつことを公にすることは、相互不信をますます煽り、東アジアのなかでの軍拡競争を相互破滅的なまでにしていくことになりかねない。それは、世界のなかでの外交的な立場を弱くすることになります。
小林 11 がないままに九条を変更すると、安全保障の環境を悪化させることになるというご指摘ですね。ごもっともです。
入試問題作成者はこの樋口氏の憲法改正反対論に同調する小林氏の発言に空欄箇所を作り、次の設問を設けている。
問七 空欄 11 に入る言葉として、最も適切なものを次の中から選び、その番号をマークせよ。
1 自虐史観への理解
2 憲法学者の賛成
3 過去の反省
4 大義名分
樋口氏の九条改正反対論に同調する小林氏の発言の一カ所を空所にして、そこに「自虐史観」派への痛烈な批判としか読み取れない設問を設定する。これは誰が見ても、受験生の脳に反安倍、反自民意識を刷り込ませるための意図的な選択肢を仕込んだとしか思われないであろう。受験生が問題文を一生懸命読むということを前提とした問題文と設問は、洗脳、刷り込み効果を狙った意図的な問題作成と断じてもなんら間違いはないであろう。
ここまで露骨な問題作成が一人の人間だけで行われたということはあり得ない。当然、何人かの問題作成委員の目を通しているはずであり、また大学当局もその点は認めている。ということは、学校教育の中に持ち込み、学校教育の中立性を犯すような政治的活動をしてはいけないという「教育基本法」の精神に真っ向から挑戦する政治的集団がこの入試問題作成の実権を握っていたと推定しても大きくは外れていないであろう。
この入試問題では、自民党、安倍政権、安倍首相がいかに極悪非道であるかということを読者に伝えようとする次のような言葉が至るところに散りばめられている。それも「設問」の中にさえ。このようなものを政治的中立を前提とした大学入試にまで持ち込んでよいであろうか。私は決して良いとは思ってはいない。
次のような否定的言葉を真剣にやまなければならない受験生というものを想像して見て欲しい。森友幼稚園の園児にあのような安倍礼賛の言葉を暗唱させることを批判するのは大いに結構。あれはやり過ぎである。しかしこのような陰湿な安倍批判はもっと批判されてしかるべきであろう。
「異形としかいいようのない社会を構築しようとしている」「お隣の金ファミリーが支配する北朝鮮の体制を目指している」「憲法が乗っ取られてしまいました」「同盟国アメリカの二軍になって地球の反対側まで戦争しにいきましょう」「とんでもない理屈」「覚悟が安倍首相には欠落している」等々がならぶ問題文や設問をここまで露骨に受験生に解かせることは正しいことであろうか。私にはまったくこの入試問題に正当性を見出すことはできない。
女系派の説得力欠如
天皇譲位問題が大きな問題となっている。小泉政権において「皇室典範に関する有識者会議」が設けられ「女帝・女系天皇容認」の報告書が作成され、いよいよこれから国会審議の場に上げられるかというときに悠仁親王誕生で天皇継承問題は白紙に戻ってしまった。しかし、昨年の天皇の「お言葉」から天皇譲位問題が急を要する問題となり、再び「女系・男系」論争が熱くなってきた。民進党は旧民主党時代から女性宮家創設、そして女系天皇実現への道筋をつけようと一生懸命である。
民進党に代表される女系天皇容認派の論者たちがその多くを依拠していると思われる重鎮的論客の一人である田中卓氏の主張を検討し、田中氏の主張があまりにも<日本的なるもの>を無視しているがためにその論に説得力がなく、また底の浅いものにならざるを得ない理由を述べ、「女系論」がいかに批判に耐え得ないものであるかを私の日本人論である<モノ・コト>理論から示しておきたい。
女系派の説得力欠如の最大要因は<コト的世界>の無視である
田中氏批判には氏の著書である『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』を利用する。私がここで批判を加えるのは、氏が日本的なる<コト的世界>にまったく思考が及ばず、欧米的、中国的モノ思考に基づいた発想のために氏の女系容認論が論理破綻に陥らざるを得ず、無意識にしろコト的発想に基づく男系派に劣るという点である。具体的に述べる。
田中氏は「日本国体の原理」は天照大神の「言挙げ」にあるとする。この「言挙げ」は「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と与に窮り無かるべし」の「神勅」である。これは『日本書紀』の「ニニギノミコト降臨」の一節である。この一節の「吾が子孫の王たるべき地」の子孫は「男女」を含む。それが天照大神の「お言葉」だと田中氏は主張する。そして、この天照大神の「お言葉=神勅」に反するものは「承詔必謹」の精神がないと恫喝する。
私はここにひっかかるのである。田中氏の頭の中では天照大神という一人の「絶対者」が「神勅」というモノを人々に下し、人々はそのモノに従えと言っている。これでは欧米のみならず中国、朝鮮と同じで「絶対者」というモノが下す「命令」という絶対的なモノに従えと同断のことになる。田中氏は「戀闕(れんけつ)の気持ち」がある人間なら私の気持ちが分かるはずだと主張する。しかし、日本には他国に見られるような「絶対者」は現れなかったし、今も現れない。田中氏が金科玉条のように振りかざす天照大神の「神勅」、ニニギノミコト降臨も「大祓詞」に描かれるニニギノミコト降臨の場面と随分異なる。
「大祓詞」に見られるニニギノミコト降臨に関わる話は次のように語られる。「高天原に神留まり坐す。皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を。神集へに集へ給ひ。神議りに議り給ひて。我が皇御孫命は。豊葦原瑞穂国を安国と平けく知食せと事依さし奉りき。」
これはまさに日本的<寄合>なのである。日本国中の「神々=豪族」が集まり、会議につぐ会議である。その結果としてニニギノミコトを降臨させましょうという話に落ち着く。かわいい孫にアマテラスは「瑞穂の国へ行ってしっかり治めなさいよ」と送り出すという構図である。古事記では天照大神の背後に高木神がいる。なにか事が起れば思金神が登場する。そして、その都度多くの神々を集め論議に論議を重ねる。とても絶対者的イメージは生じてこない。思金神という知恵袋を中心に時には神在月と言われるくらいに神々が出雲に集まって寄合をし、その結果を高木神や天照大神の「命(みこと)」として下されるという構図だ。このような構図から想像されることは田中氏が主張するような天照大神の「お言葉=神勅」であるからそれに従うのが「承詔必謹」であるというのとは随分違う。それよりもはるかに日本的な<寄合・談合>の結果として神々の気持ちが一つとなった。一つの結果が出た。日本的<寄合>によって決められた「神勅」、それに従うのが「承詔必謹」だという方が私にはよほどしっくりくる。しかし、田中氏は天照大神の一人の「意思」というモノを強調する。逆に言えば、個人の「意思」というモノを強調しなければ女系天皇を認める道が見つからなかった。田中氏は目の前の皇室の危機にとりあえず女系天皇容認の論を張らなければならなかったのであろう。それを自分の学識で裏付けることによって事を成し遂げなければならなかった。急ぎのためか、神道の元締め的大学である皇學館大学の元学長という<日本的なるもの>の中枢にいながら田中氏の思考が中国的、欧米的モノ思考しかできない脳であったためか、とにかく田中氏は日本的な<コト的世界>の無意識の働きを抹殺せざるをえなかった。それが次の一言によく現れている。氏は男系論者に次の疑問をぶつける。
「私の疑問は、皇統の継承で、なぜ “男系男子”が“日本の誇り”なのか、という理由が判らない。現に、男系男子固執論者も、それで歴代天皇が継承されてきたという“事実”こそが“伝統”であり、“誇り”だというだけで、それ以上の論拠を明確に示した人を私は知らない」と男系論者を批判する。そして、このような「伝統」はシナから輸入した古代家族制が単に「長く続いたにすぎない」と切って捨てる。しかし、「その通りだ」と思うよりも「おいおい、それは違うんじゃあないか」と思う人の方が多いことであろう。2000年の歴史・伝統を単にシナの男尊女卑や一夫多妻の「旧弊」が続いただけと言われては、カチンと来る人も多いはずだ。
田中氏の男系派批判はブーメラン
男系論者が男系継承は2000年の歴史・伝統であるとしか言えないのをいいことに、シナの悪弊だの、男女平等だの、人権だのと言い募られても男系論者がなかなかうまく反論できないのを見てもどかしく思っている人も多いであろう。しかし、田中氏の批判も底の浅いものですぐ自分の論にも跳ね返ってしまう程度のものなのである。それが良く分かるのが男系派が2000年の伝統を「誇り」とするのに、それを否定した田中氏がそれに代わるものとして提示する日本の「誇り」である。
2000年の男系継承という「伝統」を単なる中国の悪弊が続いたにすぎないと田中氏は断定する。では、田中氏は日本の「誇り」をどう考えているか。田中氏は言う。日本の「誇り」は「約二千年の昔、神武天皇によって建国されて以来、一系の皇室によって統治され、他系の権力者によって帝位を略奪されたことが一例もないという、世界にも類を見ない歴史の事実だ」と。これでは田中氏が男系派非難のための使った男系は単に「続いたにすぎない」という言葉が当然の如く田中氏の論にも跳ね返ってくるであろう。他国に侵略され帝位を奪われなかったのは単に「地政学的のことにすぎない」と。田中氏の男系派批判はあまりにも底が浅い。男系派も確かに説得力があるとは言えない。しかし、やはり2000年男系が続いた<コト>、この<コト=伝統>を守れ、という主張には田中氏よりも日本人の心性に合致しているだけに重みがある。
田中氏は女系天皇を容認するために日本人が2000年来無意識のうちに大切にしてきた<コト的世界>を平気で踏みにじったのである。そして、天照大神の「神勅」というモノにしがみつき「神勅」が発せられるまでの日本的意思決定の<あり方>という<コト的世界>を無視したのである。「神勅」は神々が集まったときに自然に醸成されたであろう「心情共同体」の中で形を成していったと考えられる。ただ一人の天照大神の意思としての「神勅」では「承詔必謹」とはならないのである。そして、八百万神の心情に支えられた「神勅」であったればこそニニギノミコトの子孫が皇統を継承してきたのである。2000年、日本人はそのような<あり方>、つまりニニギノミコトの直系男子が継承するというコト、そのような<コト的世界>が「神勅」というモノを包み込んでいるのであり、その<あり方>が日本人にはモノそのものより大切なのである。モノ思考だけの世界、たとえば中国のような世界では、暴君や暗君を有徳の士が討伐し、その位を奪うことは正当な行為となる。なぜなら、そこには「徳」という概念的なモノしかないからである。このモノ思考とコト思考の違いということを前提にしないと日本にのみ皇統が2000年も続いたことを説明できないのである。
田中氏の<モノ思考>の底の浅さ
田中氏は男系論者が無意識のうちに大切にしている<コト的世界>を踏みにじり、女系論を主張したいがために<モノ的世界>だけで無理に押し通そうとするから至るところで日本人の心性を逆なでするような無理が生じてしまうのである。男系論者はたとえ無意識であっても、その論には無意識ながらも<コト的世界>という根を持っている。しかし、田中氏はその根のないところで無理に論じるから弱い。たとえば、田中氏は2000年の伝統を断ち切っても構わない根拠として後醍醐天皇の「今の例は昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」という言葉を持ち出す。しかし、そうは言ってもこの「新儀」に2000年の男系が守られてきたことをあっさり女系にすることも含まれるのだ、と言われれば首を傾げざるを得まい。もしそんなことが可能だとしたら、とっくの昔に中国のように易姓革命が起っていたであろう。田中氏も当然このような疑問は想定しているであろう。したがって、さらに五箇条のご誓文を持ち出し「旧来の陋習を破り」「知識を世界」に求めた例があると言う。しかし、2000年の男系の伝統が「陋習」の名の下に葬り去られることにほとんどの日本人は抵抗感を覚えるであろう。一般庶民の家系が数代で消滅して行くのとは重みが違う。
田中氏のこのような<コト的世界>無視は男系論者を批判する論理のいたるところに散見される。次の例もその一つである。
田中氏は「“男系男子説”は、もともとシナの古代家族制で、その風習を、日本側で上代から受容し、それが長く続いたということにすぎない」と切って捨てる。それは、中国の悪弊が「続いたにすぎない」のであり、「決して“日本の伝統”として自他ともに誇るに足るものではない」と断定する。なぜならこのような「社会風習」や「生活習慣」は「一夫多妻制」がなければ絶対に永続しないからである、と。つまり、シナの「悪弊」というモノがなければ永続しないという論理である。
だが、田中氏のように他国の「悪弊」というモノを持ち出して男系派を批判する論法では、田中氏が「西欧の黴の生えた古いイデオロギー」とバカにする欧米思想の「平等」「男女同権」「人権」などという概念を持ち出すワイドショーコのメンテーターに「天皇の存在自体が男女同権に反し、人権を剥奪された存在ではないですか。少なくとも英国の王室のように<開かれた王室>に何故しないののですか」と詰め寄られたら何と反論するのか。シナの「悪弊」を持ち出せば、ど素人のコメンテーターが欧米的視点から、天皇家に姓もなく、選挙権もなく、移動の自由も職業の自由もないのは日本の「悪弊」だ言い募られ、批判されても碌な反論はできないであろう。
男系派の論はなぜ女系派の主張よりも強いか
田中氏の女系論はかくも底の浅いものなのである。さりとて男系派の論の方が説得力があるかと言えば、それほどでもない。なぜなら彼らも一般の国民を説得するための有力な「概念」があるわけではないからだ。しかし、女系派の論と比較すれば男系派の方が有利なのである。なぜなら、男系派には日本人が無意識のうちに大事にしてきたもの、つまり<コト的世界>をしっかりと抱きしめているからである。男系である<コト>。この<コト的世界>に畏怖の念を抱くことができるからである。日本の神々が山や岩や木や葦であったことに思いを馳せれば容易く理解できることである。『古事記』に登場する最初の神が葦牙の神であったことは日本人の心の働かせ方を明瞭に示している。おそらく縄文人は海洋民族の性格がかなり強かったのであろう。海や川を常に移動しながら活動していた民族であったと思われる。その民族にとって、川辺の葦、すくっと伸びた若々しい葦は縄文人に相当の驚き、感動を与えたのであろう。であればこそ古事記に葦牙の神が登場するのである。葦を「神」と見做した日本人は葦というモノではなく葦の<あり方>というコトに感動したのである。葦だけではない。岩の<あり方>、木の<あり方>、山の<あり方>という<コト的世界>に日本人は感動し、また畏怖の念を覚えてきたのである。それがそのまま「神」となった。本居宣長が言うように「尋常ならぬもの」は神になったのである。
このような今も変わらぬ日本人の心の働かせ方を無視したモノ思考の田中氏がいくらその蘊蓄を傾けた論を展開してもコト重視の日本人の心性の中にストンと入ってこないのである。男系という<あり方>は足利や徳川などの権力者でもせいぜい一五代くらいしか続かなかった。それが一二五代も続けば、このような<あり方>は日本人の心性からすれば、もはや「神」としか言いようのないものなのである。その「神」の<あり方>という<コト的世界>を単にシナの悪弊がたまたま「続いただけ」だという物言いで切り捨てることなどできる訳がない。田中氏は目先の皇室の危機に直面し、皇學館大学の学長を努めたにも拘わらず、他国の<モノ的思考>を優先させるという愚を犯してしまったのである。
田中氏のモノ思考を西尾幹二批判に見る
<コト的世界>が見えず、<モノ的思考>しかできない田中氏の思考回路が良く分かる例をもう一つ挙げてみる。
田中氏は西尾幹二が雑誌『will』に発表した「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」という論文を取り上げて激しく批判する。
西尾氏は次のように述べる。
「比喩でいえば船と乗客との関係である。乗客はいまたまたま船に乗っているが、船主ではない。天皇家は一時的に船をお預かりしている立場である。
私は先にこう書いた、天皇制度と天皇(及びその家族)との関係は船と乗客との関係で、いまたまたま乗船している天皇家の人々は船主ではない。彼らは一時的に船をお預かりしている立場である、と。
天皇家の人々は天皇制度という船の乗客であって、船主ではないと私は言った。船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう」
田中氏は西尾氏が比喩として使った「船主」を問題にする。そして、西尾氏が「船主」が誰であるかを明言することが出来ないと述べ、西尾氏に代わり田中氏が「船主」を明らかにして上げよう、と次のように述べる。
「日本列島は神代以来の存在であり、そこに日本国家が建設されるが、建国の英主は神武天皇であるから、『天皇制度』を船にたとえれば、その船―日本丸―の『船主』は、皇祖・皇宗の御歴代であり、御歴代の天皇は決してたまたまその船に乗り合わせた単なる「乗客」ではない。乗客は一般の国民だ。天皇家は『船主』だけではなく、場合によっては自ら『船長』も兼ねるが、船長以下乗員・乗客すべてが一致協力―一君万民・君民一体―して日本丸を二千年間航行させてきたのが、日本の歴史なのである」
この田中氏の自問自答的「船主」論には田中氏が「女系容認論」をなんとか正当化しようとする余り、日本的な<コト的世界>が完全に脱落してしまっているのが分かる。西尾氏の掲載論文を直接読んでいないので断定はできないが、西尾氏の「船」のたとえは田中氏が邪推するような「"主権在民”という西欧の黴の生えた古いイデオロギーにもとづく疑似憲法に呪縛された」西尾氏の頭から生まれた産物ではないであろう。
田中氏はなんとか「女系論」を説得しようとするあまり日本的な<寄合形式>に依る意志決定過程を無視し、さも絶対者である天照大神が一人で「神勅」を下したかのように主張する。また、絶対者的に見える後醍醐天皇の「今の例は昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」を根拠に「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴」せよと主張する。このように主張すればするほど<男系>という<あり方>、つまり<男系であるコト>という<コト的世界>が何故に2000年も存続しえてきたのか、この歴史的事実がまったく説明できなくなってしまう。時の一人の天皇の「お言葉」や「神勅」が絶対であるなら、当然予測されるように、「万世一系」などとっくの昔に吹っ飛んで中国や朝鮮のように王朝の交替が頻繁に起こったことであろう。そうならなかったのは、究極的には日本人が<モノ的価値>よりも<コト的価値>を常に優位に置いてきたからなのである。これを無視するが故に田中氏の西尾論文批判は、私の立場からすれば、まるでピントはずれの批判としか受け取れないのである。
田中氏の引用箇所からのみで西尾氏の「船と乗客と船主」の比喩を解釈するのは危険であろうが、<コト的世界>がどういうものかを示す好例となるので敢えてその解釈を試みてみる。西尾氏が天皇家は船首ではなくて「一時的に船をお預かりしている立場である」というときの船はまさに<日本的なる寄合>を構成する日本人、直接的、間接的を問わず日本人の総体であり、高天原で<寄合>をする神々の総体でもある。また、その神々はそれぞれ自分たちが治める地に民草がいる。その民草の「心情」も背負って高天原で「神議りに議り給ふ」のである。この総意をルソーなどを引き合いに出してこちたき言葉で「一般意志」などということで根拠づけようとする論者たちがいるから余計ややこしくなるが、ルソーなどを引き合いに出さずとも日本の<寄合>における意思決定過程を参照すれば事足りる。
このような日本的<寄合>という意志決定過程と様々な物事の<有り様>という<コト的世界>を参照しながら西尾氏の比喩を理解すれば、「船主」は決して田中氏が無知なる者に教えてやるといわんばかりに揚言するような「個」としての「御歴代の天皇」ではない。神々が「神議りに議り給ふ」<場>であり、その<場の空気>であり、主体のはっきりしない<場の決定>なのである。このような<場>、その<場>の決定を受け入れる「場」はまた「船」であり、もし「船主」ということを言えばその「場」の決定を受け入れ、それに権威を与える宗教的存在、西田幾多郎の言葉を使えば「無の場所」としての<あり方>そのものである「天皇」であって、決して天照大神や後醍醐天皇といった「個」としての天皇なのではない。
雅子さまは気の毒なことにこのような「無の場所」とは真逆の「個の世界」から天皇家に嫁がれた。西尾氏はあまり親切ではない言い方だとは思うが、「無の場所」に適応できずに(私に言わせれば当然のことなのだが)、苦しみ続ける雅子さまの有り様を「舟酔いをして乗っていられない」状態だと言い、まあ、これはかなりきつい言葉とは思うがそのような「個人は下船していただく以外にない」と西尾氏は言うわけである。
西尾氏の「舟」と「船主」の比喩を私なりに解釈すればこのようなものとなる。したがって、西尾氏の言が失礼なものであったとしても<コト的世界>を無意識のうちに表現しているという点では<モノ的世界>で押し切ろうとする田中氏よりも日本人には説得力を持つことになる。
結論
田中氏が主張する女系容認論は日本語の世界が<モノ的世界>と<コト的世界>に豁然と二つの世界に別けられ、<モノ的世界>よりも<コト的世界>が優位するという現実。倫理的、美学的、宗教的、すべてにおいて日本人はモノの有り方、振る舞い方という<コト的世界>が優位する。この事実を無視して2000年の男系という<あり方>を単に「続いただけ」という物言いで切り捨てるのではとても説得力を持ちえない。また、中国の悪弊をきっぱりと断った昭和天皇の事例を持ち出しても、それは立派なことではあっても、2000年の間守り続けてきた男系という<あり方>を断絶させても良いという論拠とはなりえない。この2000年の男系という<あり方>そのものが神聖を帯び、日本の神々の中の最高の神とも見做される理由となっているのである。2000年の男系という<あり方>、祈る天皇としての<あり方>、その<あり方>、つまり<コト的世界>こそが天皇を天皇たらしめ、そのような天皇を戴く国として、日本を日本たらしめ、日本人を日本人たらしめているのである。
この日本的<あり方>の一つである<寄合・談合>が往々にして負の側面を露出させ、先の大戦のような悲劇を生む要因ともなっている。しかし、<コト的世界>の負の側面の克服は決して欧米的啓蒙主義的方法論では克服できない。深くこの<コト的世界>に沈潜し、思考を重ねるところからしか克服の方法は見いだせないであろう。だが、それはこの<男系vs女系>の争いとはまた別に論じるべき主題であろう。今は結論として、<コト的世界>を無視した田中氏の女系容認論は日本人の心性に深く根付くものではなく、これを許せば日本の2000年の伝統・文化の根幹が揺るがされる危険があると主張するにとどめておく。
大阪の再生、日本の再生、日本に新たな民主主義の芽が出るのではないかという多くの人の期待を裏切って、実に小差とは言え「大阪都構想」は潰えてしまった。そして、橋下氏は潔くこの「大阪都<抗争>」の敗北を受け容れた。橋下氏はこの政治的抗争に敗れることは政治生命を失うことだと理解していた。
それは正しいと思う。「大阪都<抗争>」は比喩的に言えば、「関ヶ原の戦い」ではない。「桶狭間の戦い」であった。全国制覇の野望は「桶狭間」に勝てばこそ、であった。戦国時代なら橋下氏は「政治生命」どころではない。「命」を取られていた。
多くの人が「大阪都構想」の敗因について語っている。しかし、それらはすべて私を納得させるものではない。例えば橋下氏応援団団長的存在であったかもしれない辛坊氏は「老人票」や「大阪市職員票」が敗因であったかのように語っている。しかしそうであろうか。「老人票」や「大阪市職員票」が反対票になることを計算もせずに橋下維新が戦いに乗り出したとは私には到底思えない。それさえ計算に入れずに橋下氏が戦ったというなら、橋下氏は「甘かった」と言わざるを得ない。しかし、私にはとてもそのようには思えない。
また、橋下氏は「市民団体」ともっと「話し合い」をして説得する努力が必要だったという意見もある。「市民団体」vs「維新」という構図に持ち込み、賛成派は「維新」親派だけで各種「市民団体」を説得しなかったのが敗北の原因であったかのように説くメディアもある。しかし、今回の「大阪都<抗争>」の中で明らかになったような藤井・京大教授を切り込み隊長とした「京土会」、橋下憎しで凝り固まっている左翼市民団体や労働組合、日教組、平松時代においしい思いをした商店街会長や利権が奪われる可能性に怯えた医師会や各種団体の反対票を大阪維新は計算に入れていなかったであろうか。もし、これらも計算に入れずに橋下氏が、また大阪維新が戦いに乗り出したと言えば、それは「甘かった」と言わざるを得ない。しかし、これらすべてを敵に回して「戦さ」に乗り出したのが橋下氏であり、大阪維新ではなかったか。それも「勝算あり」と踏んでの戦いではなかったのか。
橋下氏の戦いが戦国時代や明治維新の時なら、おそらく圧倒的な強さで敵を撃破したであろう。なぜなら、自民党から共産党まで協力した呉越同舟の連合軍など「個別撃破」したらひとたまりもないからである。しかし、橋下氏の戦いは直接敵の首を取るという戦いではなかった。
橋下氏は法曹界出身、それも<日本的>ウエットな「心情的配慮」を優先させたがる法曹界において、珍しく欧米的ディベート型思考を身に付けた政治家であった。ディベート型民主主義とはなにか。それは一人もしくはあるグループが自分たちが是とする提案をする。
それ対してもう一人あるいはもう一つのグループが同じく自分たちが是とする提案をする。そしてお互いの提案に対して相手の弱点をつき、自分たちの長所を訴える。しかし、ここで大事なことはこの勝負を「誰が決定するか」ということである。戦争なら相手を殺して終わる。しかし民主主義社会では決める人間は戦っている人間ではなく、その双方の意見・主張を聞いている「観衆」なのである。つまり「選挙」だ。決定権を徹底的に「大阪市民」に与えるという立場で「公の場」で頑なに戦うことを貫いたのが橋下氏であり大阪維新であった。
この橋下氏の<ディベート型>民主主義が最終的に日本的<談合・寄合>民主主義に敗北した、というのが私の仮説である。左翼・リベラルから保守派、さらには一般市民まで無意識の<談合・寄合>メンタリティは強烈であった。左翼の「民主主義」は今や完全に<寄合>民主主義である。
老獪な内田樹などは「民主主義とは」と大上段に構えて議論を展開せず、大阪市民はだれも大阪の発展を願っているが、その方法により「遅速の差」が出るだけで、「そんなのは話し合えば済むことではないのか」と語り「話し合い」ができないところに「この国を蝕(むしば)んでいる深い闇を見る」などと高見からの説教。そして、結果的に「大阪都構想」が敗北したことを「今回の住民投票は『簡単な話を複雑にした』という結果になった。大阪市の抱える問題はひとつも解決しないまま残ったが、あえて『面倒な仕事、複雑な手間』を選んだ大阪市民の「市民的常識」を私は多としたいと思う」ととんちんかんな結論で読者を煙に巻く。
常識的に考えれば大阪市民が「面等な仕事、複雑な手間」など選んでいないことなど一目瞭然だ。あの反対票を入れた老人や既得権益死守に走った人間たちが、大阪の発展のために「面等な仕事、複雑な手間」を引き受けたなどブラックジョーク以外の何物でもない。しかし、あえて内田の意見を尊重すれば、「延々と何年でも議論し続け結論なき面倒な<寄合>」を大阪市民は選んだとは言える。
しかし、内田の子分格レベルになると露骨な<寄合>民主主義を主張する。例えば、想田和弘などは、橋下氏の民主主義を「橋下氏は民主主義=多数決であると単純化してとらえ、民主政治のプロセスを多数決に勝つための勝負事であると勘違いしている」と言い、それを「戦闘的で幼稚な民主主義観である」と批判する。左翼・リベラルの好きな「民主主義観」というのは、「それは自立した個人がそれぞれの利害や意見や価値観をすり合わせ、なんとか妥協しながら、時間をかけて合意形成を図っていくための政治体制である。最後は仕方なく多数決を取り、勝つ側と負ける側が出るけれども、それでも少数派の権利が守られ、「敗者」が出ないことを目指すのが民主主義なのである」というものだ。
一見、この言や良し、である。しかし、左翼・リベラルが決して言わないのは「いつ、どのような形式で多数決を取り決着をつけるのか」ということである。進歩的文化人が「幻想・妄想」している「自立した個人」など存在しない<日本的社会=世の中>で、「利害や意見や価値観をすり合わせ、なんとか妥協」すればどうなるか。それは想像に難くない。
最近は民主主義を語るのに「熟議」などという言葉が流行っているようだ。しかし、日本の<寄合>を知っている人間は、いかに日本人は「熟議」が好きか、またその弊害がどのようなものかも知っている。「熟議」などというと高尚に聞こえるが、日本では1カ月でも1年でも<寄合>という「熟議」をやってきたのだ。左翼・リベラルが声高に叫んでいる「民主主義」は「自立した個人」がいない日本の「世間」では、瞬く間に<談合・寄合>となる。その象徴であったのが労働組合が仕切った大阪市長選、その神輿となって嬉しげにしていた平松前市長なのである。しかし、橋下氏が敗北したのはこのような底の浅い左翼などではない。
左翼・リベラルが夢想する「自立した個人」が「熟慮」を重ね、敗者や弱者にも目配りする「民主主義」は「自立した個人」が存在しない日本の「世間」では<話し合い>尊重の<寄合>民主主義にならざるを得ない。これは左も右も関係がない。典型的な例が「ウエークアップ」でコメントしている橋本五郎である。
橋本氏の言葉の端に橋下氏の手法への批判が見える。つまり「話し合い」をしないという批判である。それが端的に分かるのは憲法改正問題である。橋本五郎氏のような根っからの<寄合>メンタリティは憲法改正について「このレベルで考えてはいけない。もっと国民的レベルでどうするか」考えないといけないという。これを私は無意識的レベルの<寄合>メンタリティという。なぜならこのような発言をしている本人が自分は<談合・寄合>メンタリティだと言うはずがないからである。では、どこが<談合・寄合>メンタリティか。日本のムラ社会における<寄合>は「ウチ」の世界のことであって「ソト」のことではない。
<寄合>では気心知れた人間が酒でも飲みながら延々と「ウチ」の問題を話し合う。「ソト」の人間は預かり知らぬことである。このような「ソト」のことはどうでもよい、というのが日本人の心の中に沁みついていて、それが「若者」に露骨に現れたとも言える。年を取れば取るほど大阪市が「ウチ」になり、またその「ウチ」の人間には、「敬老パス」だの「年金」だのと恩恵を蒙っているという意識が生まれる。しかし、若者にはそのような意識はない。市の職員など、まさに「ウチ」の問題だから必死になる。利権、既得権に関わる人間はすべて「ウチ」だから必死だ。「ソト」から来た橋下徹などというどこの馬の骨か分からん人間に「ウチ」の問題に手を突っ込まれてたまるか、という強烈な意識が生まれる。
この「ウチ」意識を橋本五郎のような老人は無意識のうちに肯定し、「ウチ」で行われる<寄合>を「国民的話し合い」だと錯覚してしまっている。この錯覚は強烈なものであり、かなりの国民が共有していると思われる。したがって、「話し合い」など決着などつくはずもない労働組合とも「話し合え」と言う。
このような意識は政治学者の三浦瑠麗のブログなどにも端的に見られる。橋下氏は「バラマキを行わなかった」から敗北した、と。しかし、三浦氏も認められているように「バラマキそのものは維新が否定しようとしてきた日本政治の悪しき風潮」なのである。その「悪しきバラマキ」をなぜ不用意に勧めるようなことを三浦氏は言ってしまうのか。それは橋下氏が敵として戦っている<寄合>型民主主義を無意識に認めているからだろうと思われる。橋下氏が<寄合>型民主主義に膝を屈することを期待し、またそうなると思っているということになる。そう思っている典型が橋本五郎である。橋本氏はそう思っているからこそ、「橋下待望論から橋下氏は復活してきますよ」とかなり自信を持って言うことになる。
私は橋下氏が戦っていた真の敵はまさに「バラマキ」を要求する<談合・寄合>型民主主義だったと認識している。橋下氏が<談合・寄合>ができる政治家であれば、あれほど明瞭に<京土会>などという京大を親玉とする土建業界の利権集団が表に出てくることもなかっただろう。橋下氏は左翼・リベラルから保守までを含めて、「話し合え、話し合え」という強烈な<談合・寄合>メンタリティに負けたのである。そして、<談合・寄合>には「関係者のみ」が関わる権利があるということも忘れてはいけない。<談合・寄合>に関わるだけの権利のない「一般大阪人」は「ソト」の存在なのである。その「ソト」の存在である大阪人も日本人であり、「ウチ」の人間同士仲良く「話し合って」問題を解決して欲しい、というメンタリティ保持者なのである。左、右、一般大衆まで含め、これだけの「寄合」メンタリティを敵に回して、橋下徹とう政治家はなんと1%未満の差のところまで<談合・寄合>派を追い詰めたのである。これは並大抵のことではない。
世界は激動しているがコップの中の日本は「平和ボケ」である。その「平和ボケ」国民をここまで引っ張った橋下氏の政治家としての手腕は並はずれたものであった。しかし、それにも拘わらず、それにも拘わらず、深い「闇」というなら、まさにこれこそ日本人が抱える「闇」、それに橋下氏は敗れたのである。私はここに強烈な<談合・寄合>メンタリティを見る。
あの戦争、アメリカと一戦を交えるという段になっても日本の官僚政治家たちは「ウチ」の中で「談合・寄合」をやって利権・既得権益の分けあいに血道を上げていた。アメリカにこっぴどく叩かれてやっと方向転換した。しかし、アメリカが押しつけたアメリカ型民主主義はあっという間に<談合・寄合>民主主義になってしまった。橋下氏は果敢にこの<談合・寄合>民主主義に挑んで敗れた。日本でこの戦いに少しだけ勝ったのは、悲しいかな、織田信長と、明治維新における志士たちであった。織田信長は「戦国時代」という危機の時代の人間だった。平和ボケで今と近かったのはおそらく江戸末期だったろう。平和な日本において、志士たちはあの時代には珍しいほどの危機感を持った吉田松陰という人間に煽られた集団であった。吉田松陰の死を無駄にするな、とばかりに戦った人間たちであった。
「大阪都<抗争>」に敗れた今、維新の議員たちに残されている道はなんだろうか。日本人のメンタリティはほっておけば自然回帰的に<談合・寄合>に戻っていく。織田信長から徳川家康へ、である。しかし、危機を感じ、真剣に戦う人間が時に現れ日本を「洗濯」しようとする。それを成功させる人間がいた事も事実である。
今、橋下徹という「政治家」は死んだ。しかし、吉田松陰亡き後、その精神を引き継ぎ、戦いを続けた志士たちがいた。彼らの戦いの後は死屍累々であった。しかし、戦い続けた。この平和な時代に死を恐れない政治家など日本にはほとんどいないであろう。しかし、橋下徹という政治家の近くにいてその精神を我がものとしている人間がもしいれば「維新団」は存続するであろう。しかし、橋下徹が戦っていた「敵」を無意識のうちにも己の敵として戦っていなければ、維新の議員たちは瞬く間に他党の草刈り場となり、橋下氏の精神は雲散霧消していくだろう。
小泉元総理が「国民に聞く」という形で総選挙を行って成功した。安倍総理は財務省を黙らせるために総選挙を行って勝利した。橋下氏は「大阪市民に聞く」として用意周到、かつ猛烈なエネルギーを消費して住民投票を行い、敗れた。
今、世界は激動している。明らかに「新冷戦時代」に突入した。「冷戦時代」、日本はアメリカの傘の下で自国の矜持を隠蔽しながら経済的繁栄のみを追った。そのうち国民は「アメリカの傘の下」にいることさえ忘れ、日本人の矜持があるのかないのか分からないのような精神状態になった。「平和ボケ」の極致が来た。しかし、今、中国が「中華帝国」再建に血道を上げている。中東では「イスラム国」がアラブ弱小連合軍に追い詰められるどころか逆に追い詰めている。かつての軍事大国アメリカも地上軍を送る勇気も力もなくなってきた。もはや、日本は「アメリカの傘の下」でぬくぬくしている状態ではない。今、時代はそういう時代なのである。
橋下氏は「平和ボケ」した日本人の昔ながらの<談合・寄合>メンタリティに果敢に挑み、そして敗北した。この現実を直視しうる維新の議員がどれくらいいるだろうか。私は残念ながら維新の議員については全く無知である。しかし<談合・寄合>メンタリティに果敢に挑戦した橋下氏の精神を引き継ぐ人間がいることを願わずにはいられない。さもなくば、日本は大木が芯から朽ちていくように朽ちていく。今でも朽ちていっている。しかし、さらにそれを加速度的に朽ちさせる大きな、大きな第一歩が大阪ということになるであろう。
「なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。」問題は次の段落の最初の言葉である。
「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。」と日本語ではなっている。日本人がこの「いずれにしても」という言葉を読めば、国家的犯罪である「強制連行」の証拠はない。しかし、「いずれにしても」、多数の女性を彼女たちの意志に反して娼婦として使ったことは事実だし、今の女性に対する人権意識からすれば、彼女たちの名誉と尊厳を深く傷つけたことは間違いない。日本が「国家的犯罪」を犯したということを認め、「国家」として謝罪、法的賠償金を支払うことはできないが、心情的に大いに同情を禁じ得ない。したがって、人道的処置は講じようというまさに「思いやりの精神」の発露である。
また、そのような「思いやりの精神」だけではない。日本的な「世間を騒がせて申し訳ない」精神も発揮されている。日本語の「いずれにしても」という表現から「論理的に」国家による強制連行を窺わせることはできない。しかし、朝日新聞は騒ぎ、政府の対応を批判する。韓国がこれと歩調を合わせて日本を激しく批判する。まさに「世間を騒がせて」いる状態である。朝日や韓国という「世間」を騒がせていることには間違いない。ここはとりあえず頭を下げておけ、の発想である。
このような「思いやり精神」や「世間を騒がせたことに対する謝罪」は日本国内では通用する。しかし、日本以外の国にはまったく通用しないのである。似て非なる国が韓国である。その韓国・朝鮮人に通じるわけがない。アメリカのような英語国民にも通じない。そこで外務省は「いずれにしても」を次のように「外国向け」に翻訳した。
Undeniably, this was an act, with the involvement of the military authorities of the day, that severely injured the honor and dignity of many women.
「いずれにしても」がUndeniably「否定しようもなく」に変わってしまった。また、はっきりと日本軍当局の介入による「行為」とされている。「否定しようもなく日本軍が介入した」となれば、それは出先の軍の一部が勝手にやったり、まして売春婦を扱う「口入屋」がやった行為とはならない。
「いずれにしても」のニュアンスは、日本人には分かっても外務省はこれを英訳できないと思ったか。日本的論理の飛躍、日本語の世界では当たり前でも、英語にはできない。できないから英語的論理性が持てるように前段と後段を「論理的」に翻訳して、「いずれにしても」を「疑いもなく」とやってしまった。「いずれにしても」の大誤訳である。
しかし、この英語にできない<日本的>論理の飛躍に実は日本人の心性の核心が潜んでいる。これは丸山真男があれだけ<欧米的な>ものを羨ましがり、負の<日本的なるもの>を摘出し続けたにも関わらず、その丸山真男自身が<日本的なる>論理の飛躍を無意識のうちにやっていることからも分かる。
丸山真男は、日本人が新しいものにすぐ飛びつきたがるその心性は根本的なところでは変わっていないことに気づいていた。しかし、丸山は自分自身が犯している<日本的思考>、日本的論理の飛躍には気づいていなかった。丸山真男の時代はマルクス主義全盛時代である。
日本の学者は明治以来、欧米の最先端と思われるものを輸入することを自己の使命としていた、というより「新しいものにすぐ飛びつきたがる」だけのことに過ぎないのだが、そのことに気づかず多くの学者がその時代の最先端のマルクス主義に飛び付いた。丸山真男も当然そのマルクス主義にしっかりと染まった。したがって、日本思想史の問題点を考えるにも「普遍史的な歴史的発展段階があることを当然の前提として思想史をもかんがえていた」のである。しかし、誇り高き丸山真男は、そこらの低レベルなマルクス学者と違うぞ、と言わんばかりに次のように述べる。
「私は哲学的にマルクス主義に疑問を持っていましたし、また上部構造としての思想史という立場だけで思想史の解明が出来るかということについても、すくなくとも私の勉強したマルクス主義者の説明では納得が行かなかった」と言う。ならば、納得できない部分をさらに勉強したかというとそうではない。丸山真男も<日本的な>論理の飛躍を平然と犯す。丸山は言う。「けれども、思想史も歴史にはちがいないし、歴史を考える上ではやはり世界中にあてはまる歴史的発展段階があるはずだ、というのが私の基本的な考え方」であったと。丸山真男はこのような発想から日本も欧米的「作為」の発想が「歴史的発展」としてあるはずだという考えから『日本政治思想史研究』を書いたのである。
マルクス主義に納得がいかなければ、徹底的に勉強、研究するだろう、と人は思うかもしれない。なにせ、天下の東大の教授である。日本の思想界を背負って立っているはずだ、と。そう言われれば、買い被るな、と言い訳するかもしれないが、日本の学問、理系は別にして文系は東大が「トップ」だと一般の人間は思っているであろうし、また東大に職を得ている人間、東大出身の人間が内心そう思っているであろうことはまず間違いない。そのトップに君臨した丸山真男が、なんと「けれども」という。つまり、納得できなくても、それでもマルクス史観を受け入れ、それを視点に本を書くのである。もし、マルクス史観が納得できなければ徹底的に研究すればよい。そこから日本から発信できる「丸山史観」が生まれたかもしれない。しかし、丸山真男はあっさりと「けれども」の一言で、マルクス史観を受け入れてしまうのである。
丸山はおそらく無意識で、この「けれども」を使ったと考えられる。もし、この丸山の一節を英訳したとき、この「けれども」を単に、Butで訳したら、きっと「英語国民」は首を傾げるであろう。「納得できない。しかし、受け入れる」とは矛盾である。無学な人間ならいざ知らず、天下の東大の先生が「なぜ納得できないものを受け入れるのか」と英語国民なら不思議に思うだろう。しかし、日本人は状況、時代的「空気」すべてを無意識のうちに読み込む。したがって、書き手も読み手も恐らくこの日本的論理の「飛躍」に気づかない。しかし、英語で直訳したとき、その「飛躍」が露骨に表れる。
結局、「河野談話」も丸山真男の思考様式も根本でこの<日本的>論理の飛躍に規定されているのである。「河野談話」は、無意識のうちに外国に存在しない「思いやりの精神」を発揮してしまった。丸山真男は無意識のうちに、また「優秀な」だけに時代の最先端という「空気」を察してマルクス主義思想に染まった。東大のトップの教授が時代の「空気」を読み、それに迎合する。その薫陶を受けた者たちが朝日に入社する。当然、「社の空気」を読む。その結果が朝日の誤報である。
ソ連が崩壊し、日ソ冷戦が終わりイデオロギー対決も終焉した感があるが、戦後数十年、大学、メディアが「マルクス主義的<空気>」、「リベラル的<空気>」にいかに支配されていたか。憲法改正の必要性、軍備の充実の必要性など少しでも口にしようものなら、軽蔑の目を向けられ、冷遇され、付き合いを絶たれ、時に吊し上げ、集団リンチまがいに合う危険もあった。こんな時代は今の若者はほとんど推測すらできないであろうから、いくつか、「左翼的」<空気>を伝える例を出しておこう。
朝日に代表される<進歩的文化人>は何を目指していたのか。そして今も何を目指しているのか。端的に言って「主体的人間」「個としての人間」の養成である。なぜ、そのような人間の養成を<進歩的文化人>は目指したのか。簡単である。東大をトップとする学者たちが学ぶのは欧米であり、欧米にはさも立派そうに見える「主体的人間」「個としての人間」が政治を行い、経済活動を行い、文化的活動をやっていると見えたからである。「遅れた日本」は当然、欧米的人間を創り出すことが自分たちの使命だと思い、また啓蒙すべきだと思ったのである。
私がこのような<進歩的文化人>を偽善の最たるものと見なすのは、「無知なる」国民に欧米的「個人」になるように啓蒙につぐ啓蒙をするが、自分たちがやっていることはまさに啓蒙し克服しなければいけないはずの<空気支配>に完全に支配されているからである。<進歩的文化人>は自分たちが欧米的、主体的個人を生きているような顔をして実は最も<日本的なるもの>の負の面を生きている。それ故に、私は彼らを偽善の最たるものと見做すのである。
なぜ、そう断言できるか。今回、朝日が誤報を訂正することなく32年間も放置してきたその朝日の心性と戦艦大和出撃の意思決定が同じ「空気」によって行われたという事実からそう言えるのである。戦艦大和出撃は、短時間のうちに形成された「空気」によって決定されたが、一方、朝日の「慰安婦」報道は戦後の<進歩的空気>支配の中で発生し、それが長期間にわたったという違いはあるが、両者はともに「空気支配」の中での出来事であったということで本質的には一緒である。
日本人論の名著『「空気」の研究』で山本七平は戦艦大和の出撃は「空気支配」による特攻であったと言う。大和出撃はサイパン陥落時にも提案された。しかし技術者集団である海軍のエリートたちはこの提案を却下した。理由は技術者集団らしい「合理的」判断であった。「軍令部は到達までの困難と、到達しても機関、水圧、電力などが無傷でなくは主砲の射撃が行いえないこと等を理由に」大和のサイパン特攻案は退けられた。しかし、沖縄戦においてはこれと同じ技術的、合理的な判断に基づき沖縄特攻案が却下されたかというと却下されず、出撃となった。
山本七平は、ここに明らかにサイパンの時にはなかった「全般の空気」の変化が生じ、「統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証」も一切吹っ飛んでしまったと言う。恐らく同じことが朝日の誤報検証報道にもあったと私は推測する。誤報検証報道には、誰が何の目的でなぜ「今」報道したのか、肝心要のところを朝日は一切報道しようとしない。朝日ばかりではない。他の報道機関も追及しようとしない。これぞ、私から見れば実にジャーナリストとして取材・検証する価値があると思われるが、今のところ、私は知らない。何故、報道しないのか。山本七平風に言えば、安倍政権誕生までは誤報検証の「空気」がなかったのであり、32年後、誤報検証の「空気」が突然出来たのである。かつて大和特攻を認可した最高責任者であった連合艦隊司令長官・豊田副武は次のように述べた。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない」と。朝日の社長も、もし引責辞任になれば、なぜ32年間も誤報を放置し、今さらながらの誤報検証報道をしたのかと問われれば同じ答になる可能性が高い。社内の「進歩的」<空気>の中では、ああせざるを得なかった、と。
朝日が今までの報道姿勢を改め「事実に」即した報道をする。そのために身内にも責任を取らせる断固たる態度で「主体的」に今回の報道に至った、などということは誰も信じないであろう。明らかに「空気」が変わったのである。安倍政権の誕生、それも長期安定政権になりそうな政権の誕生。
そして、隣国・韓国での朴槿惠政権の誕生。日本がいくら低姿勢で朴槿惠大統領に日韓関係改善のために努力しても、朴槿惠は「慰安婦問題」「歴史問題」と韓国側の主張を繰り返し、世界各国へ行って日本は許せん、とばかり「つげ口外交」を繰り広げてきた。安倍首相が「韓国語」でにこやかに挨拶しても硬く冷たい表情を崩さなかった。
中国は南シナ海で一方的に石油掘削作業を行い、ベトナムと一触触発の状態を作り出し、さらに一層の海洋支配を露骨に進め、フィリピンや、日本に対して「恫喝的」行為を繰り返している。ロシアはウクライナのクリミアを併呑してしまった。日本が最も多くの石油を依存する中東地域は、へっぴり腰のオバマをあざ笑うかのように「イスラム国」がイラクの首都バクダッドも落としかねない勢いで勢力を伸張している。朝鮮半島では、金王朝三代目の金正恩が何をしでかすか分からない、中国さえ抑えが効かない状態が続いている。
かつて安倍首相の「日本を取り戻す」というスローガンは、極右政治家の「妄言・暴言」のように扱われていた。韓国のメディアは安倍首相を呼ぶ時、枕詞のように「極右政治家」安倍という言い方をしていた。アメリカも安倍首相は日本を「軍国化・右翼化」させるのではないかと懸念していた。しかし、世界情勢は変わった。かつての世界警察アメリカは他国の協力なしでは動けないほど経済的・政治的・軍事的に弱ってきた。日本が「自立」する機会が巡ってきたのである。安倍首相の「日本を取り戻す」いうスローガンが単なるこけおどしではなくなってきたのである。
橋下氏の「慰安婦発言」以来、橋下氏は、発言当時、無茶苦茶に叩かれたが、その後の韓国のエスカレートする「反日」的行動に当然の反作用が起き、「反韓」の「空気」が急激に醸成され、韓国への旅行客は激減、韓国人に対する「ヘイトスピーチ」はますます勢いを増した。山本七平が言う「空気」が変わったのである。私が独断的に推測するに、この変化した「空気」を巧みに利用して安倍政権は朝日を恫喝できたのではないか。ただ、これも日本的「談合・寄り合い」により、「朝日よ、お前を徹底的に追い詰めることはしない。今回は、黙って誤報検証記事を出せ」くらいにしている可能性がある。今後、さらに「空気」が変わり、朝日に対する批判が燃え上がれば、社長の引責辞任、インチキ記事を書いた植村元記者の退職金没収くらいには発展するかもしれない。しかし、「なぜ、朝日は32年間も誤報記事を垂れ流し、今、ここで誤報検証記事を出したのか」と問われれば、「合理的・論理的」答はない。
戦艦大和の沖縄特攻を認可した連合艦隊司令長官のように「全般の空気よりして、私はああせざるを得なかった」としか言えないであろう。歴代朝日のトップは「社内の空気」、朝日を支える進歩的文化人の「全般的な空気」よりして、どれだけ客観的情報、資料、分析があっても認めるわけにはいかなった。ところが「全般的空気」が激変した。時の政権の「空気」は朝日をこのままにはしておかないという勢いだ。この「空気」に抗うことはできない。朝日が今回「誤報検証報道」を出したのは「空気の変化」に朝日が対応せざるを得なかったということであろう。
<参考文献>
日本では、古来天皇を現御神(あきつみかみ)と呼び、日本を「神国」と呼び慣わしてきた。最近では森元首相が日本は「神国」だと言って顰蹙を買ったこともある。しかし、日本を「神国」と言ってしまいたい根拠は本当にないのであろうか。私は日本人がつい「日本は神国だ」と言いたくなる根拠は十分あると思っている。
もちろん、有人宇宙船が旅をする時代に、天皇は現御神であるなどと言えば精神異常者と思う人もいるであろう。そうまで言わなくても、「極右」「狂信的天皇主義者」「ナショナリスト」などという罵詈雑言が浴びせられることは覚悟せねばなるまい。しかし、「天皇は現御神である」というテーゼは十分考察に値するというのが私の考えなのである。
有象無象数ある左翼や進歩的文化人の「天皇制批判」については、坂本多加雄『天皇論-象徴天皇制度と日本の来歴』がかなり説得力ある反論を試みている。左翼や進歩的文化人と戦いたいと思い、そのための理論武装をしたいと思っている人には、この本は非常に有効である。しかし、私が問題にしたい点は、実は坂本の本に触れられていない点、私が長年疑問に思い、不思議に思っている点なのである。
私の疑問は次の一点にかかっている。日本ではなぜ天皇制が延々と続いてきたのか。そして今後も続きそうであるのか。なぜ日本人は天皇を必要とするのか。その日本人の天皇を必要とし、天皇制を維持させたいという無意識の心の機序は何か。
この一点について、坂本はしっかりと語らず52歳の若さで世を去ってしまった。左翼や進歩的文化人のように天皇制を「無化」して自然消滅させれば日本も西欧的な「文明国」になれると思っている人間には問うのが怖い問いなのである。なぜなら、もしこの問いを問うて日本人が「天皇制」を要請するかなりの必然性が明らかになってしまうと、欧米の理念をさも「普遍的理念」のように思い、その「理念」が実現されていない日本を啓蒙し、彼らが勝手に頭の中で描いた理想の欧米諸国のように日本を変えたいというはかない望みが消えてしまうからである。
しかし私のように日本人論を考え続け、その結果日本的行動の特異性に思いを馳せ、そのよって来たる根本要因を考えてきた人間には天皇制を簡単に「無化」したり、西洋的「普遍的な理念」を実現するために日本人の啓蒙に血道をあげるなどということはできないのである。
「天皇制」を「無化」したり、「啓蒙」したりすれば日本も天皇制を廃止できると思っている人間の代表として吉本隆明と丸山真男の名前を挙げておけば十分であろう。数々いる社会学者や評論家など吉本や丸山の亜流に過ぎないからである。
では、本論に帰って私の問いを論じたい。私の結論は、日本人は日本語を話している限り、「天皇」を要請する。したがって、日本から天皇制は消えない。なぜなら、日本語という実にユニークな言語が「天皇」を要請するからである。もちろん多くの論者が述べるような地政学的要因、環境学的要因なども大きな要因ではあろう。しかし、もっとも大きな要因は「言語」である。
人間の行動様式にもっとも大きな影響を与え、また永続的に与え続けるものは言語である。この仮説に立って日本語を考えたとき、日本は実にユニークな言語なのである。
日本語は「世界」を「モノ・コト」の二つの世界に大きく分節する。このような言語は今のところ、日本語にしか私は発見していない。モノは常にコトに包まれる。コトがあってのモノである。このコトの最終形態、理想の極致、西田幾多郎の言葉でいえば、絶対矛盾的自己同一の究極的形態として具現化したものが「天皇」なのである。
私が天皇を考えるときの一つの象徴的出来事が昭和天皇とマッカーサーとの会見である。この会見において天皇が発言したとされる言葉を松本健一『昭和天皇―恐るべき「無私」』より引く。
「私(昭和天皇)は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」
この発言は状況証拠しかないということで、疑う向きもあるが私はこの天皇の発言とされるものを信じてよいと思っている。欧米の絶対君主や王のイメージしか持っておらず、ただ天皇をその後の日本統治の便利な道具にしたいと思っていたマッカーサーのような軍人には想像もできない天皇の言葉であった。であればこそ、私は次のマッカーサーの言葉も信じてよいと思っている。同書よりマッカーサーの言葉を引く。
「私はおおきい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである」
マッカーサーは日本文化、まして「神道」などまったく知らぬ軍人であった。したがって、マッカーサーには「私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士である」などという凡庸な言葉でしか言い表せなかった。マッカーサーが真に日本精神を理解していたら、このなんとも間の抜けた表現である「日本の最上の紳士」などとは言わなかったであろう。昭和天皇は自分でも「神」などとは思っていなかった。国体明徴運動のなかで現人神(あらひとがみ)などと言われて迷惑だと思っていた人間であった。しかし、昭和天皇自身が「神聖にして犯すべからず」と明治憲法で規定された「神概念」を迷惑と思われていたとしても、こんな欧米輸入の神概念などと関係なく、2000年の日本の歴史が昭和天皇を産み出し、そしてマッカーサーとの対面での先の言葉を口にさせたのである。このような言葉を発するもの、またそのようなあり方を古来日本人は「神」として崇めてきたのである。
松本健一が本のタイトルの一部に「恐るべき「無私」」と付け加えているように、「無私」の極致としての天皇のあり方、その「こころ」が、昭和天皇という生身の姿を通して「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして」という言葉となって現れ出たのである。
戦後「滅私奉公」という言葉で国民を戦場に駆り出し、おそるべき数の国民を殺した。それも日本ばかりなくアジア諸国の国民を殺しまくった軍国主義の悪の権化という戦後民主主義の「物語」はこの天皇の言葉の前に雲散霧消せざるを得ないのである。
「天皇」という<あり方>から発せられたこの言葉を知ってさえいれば、三島由紀夫は「などてすめろぎは人間となりたまいしか」という「呪詛」の言葉を吐かなかったであろうというのが、安倍総理が起用したということで物議をかもした長谷川三千子の『神やぶれたまはず』の主張である。三島由紀夫は天皇の「人間宣言」に絶望し、呪い、深い地獄の底から響くような言葉で「などてすめろぎは人間となりたまいしか」と呪詛する。
この呪詛を鎮めるかのように、長谷川は言うのである。 「神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふた―さう思はれたその瞬間、よく見ると、たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命がおかれたゐた」と。
西洋の「神」は自ら死ぬことができぬ神である。しかし、現御神としての天皇はみずから死する神として現前したのであった。まさに「無私」の現前である。長谷川氏が見ている天皇は日本が2000年の歴史の中で日本という国土の中で産み出された奇跡の「神=天皇」であった。まさに「無私」を体現した現人神としての神の姿であった。
なぜ、このような「神=天皇」が日本に生まれたのか。この必然性はどこにあるのか。私は思うのである。日本語の世界は「モノ・コト」二元論の世界である。重要なことは「モノ」を包むものとして「コト」の世界があり、この「コト」の世界が日本人の美意識、倫理意識を規定している。
「女らしく」「高校生らしく」などと何気なく言っているが、この極致は「天皇らしく」であり、その「らしく」の極致が「無の精神」「無私の精神」なのであり、それが敗戦という人間の動物的醜悪な本性が露骨に表面化した敗戦時というときに、「天皇らしく」ある<コト>という<コトの精神>が誰の目にも明らかなほどに顕われ出たのである。
欧米的な絶対的権力を握った王しか知らぬマッカーサーは、昭和天皇を戦後の「安上がり」な日本統治のために利用しようとした。その程度の認識であるから、「天皇が、戦争犯罪人として起訴されないように、自分の立場を訴え始めるのではないか」(松本健一)と不安も抱いたのである。
そんな見苦しいことになったら、戦争犯罪人「リスト」NO1に挙げられていた天皇を免訴することなどできなかった。しかし、2000年の歴史が産み出した「天皇らしく」ある<コト>という<コトの世界>が昭和天皇という人間を通して現前したのである。西洋の神、キリストしか知らぬマッカーサーにとってまさに「現御神」の現前であった。しかし、「現御神」という言葉を知らぬマッカーサーは、「日本の最上の紳士である」などという間の抜けた表現しかできなかった。昭和天皇の「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」という言葉こそ、日本人の<コト的世界>の倫理的・美的生き方の極致であった。
日本人が「モノ・コト」という世界を大きく二分節する言葉の世界に生き、「女らしく」ある<コト>、「男らしく」ある<コト>、「政治家らしく」ある<コト>という無数の<コト的世界>に生きている限り、その必然的要請として、<コト的世界>の理想形として「天皇」が要請される。「モノ一元論」の権力というモノ、権力者というモノ、被支配者というモノ、金持ちというモノ、貧乏人というモノというモノしか存在しない「モノ一元世界」からはおよそ想像も及ばぬ<コト的世界>を日本人は持っているのである。
井上清などというマルクス主義歴史家の言説を踏襲する戦後の歴史家や進歩的文化人のように、「天皇というモノ」、「神聖にして犯すべからざる」モノという天皇、西洋の神にも匹敵する「権力者」というモノが軍国主義国家日本で蛮勇を奮い多くの国の民を辛苦のどん底に落とした、などという「モノ史観」から脱却して「天皇であるコト」という「コト史観」を考察してもいい頃ではないであろうか。
<参考文献>