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サイトオーナープロフィール

生まれ  1952年、愛知県西尾市に生まれ、19才にして金沢大学に入学。入学の年、ある講演で「大学生活は人生いかに生きるべきかということを真摯に考えるべき時だ」という哲学の先生の話を真に受け、以来、人生の意味を考えるべく大学生活を送る。
大学卒業後  人生これからどうすべきか思案にくれていたところへ、サウジアラビア留学への話。男は人生決断の時が何度かあるものだ、という心の声に、「よっしゃ」と、サウジアラビアのリヤド(首都)でアラビア語を3年間勉強。
帰国後  帰国後アラビア語の翻訳の仕事に6年ほど従事。しかし石油ショックの余韻も消え、人々のアラブへの関心が消えて行くとともに仕事は不調となり、退職。
退職後  30才にして再度立命館大学へ1年間通い教員資格に必要な単位を取得し、京都のある定時制高校で3年間常勤講師として英語を教える。この3年間に学校という場は私に合わないと悟り、教諭への道を諦め、予備校講師へと転身。医歯薬専門予備校を手始めに、ECC予備校、浪速予備校、北九州予備校、駿台などで、10年間ほど英語講師生活をしながら糊口をしのぐ。
「日本人とは何か」  塾の経営、英語指導という生活の一方で、常に私の頭を離れなかった「日本人とは何か」という問題を考え続ける。サウジアラビアで強烈な「一神教」に出会い、大いなるアイデンティティ危機に陥る。帰国後、仏教などの宗教書を読み漁るが私の疑問、私のアイデンティティ確立に役立つものに出会うことはなかった。
 ある日閃いたアイデア、「日本的なるもの」は日本語の特性にある。その核は日本語特有の構文であり、また世界に類を見ない「モノ・コト」二元論の世界にあり、と確信した。以後、私は自己のアイデンティティの拠り所を発見するとともに、この概念を武器に、発表する場もない私であるが、私の「日本人論」を書き続け、今日に至る。